真駒内放牛場とエドウィン・ダン
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1871年(明治4年)開拓次官黒田清隆の招聘で来日したアメリカの商務長官ホーレス・ケプロンは、開拓使のための牛、羊の購入と農業教師の人選を子息のA・Bケプロンに依頼し、エドウィン・ダンが選ばれダンは同年の7月9日に横浜に上陸しました。来日したダンは1875年(明治8年)函館に近い七重官園に長期出張を命じられましたがその翌年札幌への転勤して札幌官園に着任しました。ダンは札幌放羊場を開設しましたが、彼が着任早々建設を始めた[真駒内放牛場]は、明治15年の開拓使の廃止に伴い明治19年には北海道庁に移管されましたが、北海道における畜産の拠点として大きな役割を果たしたのみならず、現在の真駒内地区発展の基礎を築いた意味でも特筆されています。
エドウイン・ダンの功績を記念して昭和39年[エドウィン・ダン記念館]が、真駒内に設けられ、2006年は真駒内放牛場が建設されてから130周年を迎えました。 |
エドウィン・ダン(1848年-1931年)
エドウィン・ダンは、1848年(嘉永元年)米国オハイオ州チリシコで生まれ父の経営する大牧場で育ちました。23歳の時には従兄弟と共同で牧場の経営にもあたつていました。明治6年開拓使の農業教師として来日、明治9年から明治15年まで北海道畜産の発展に努力しましたが、15年に開拓使廃止に伴い北海道を離れ翌年アメリから帰国しています。ダンは北海道の農業、畜産の分野での功績が認められ、勲五等旭日双光章を授与されています。
所蔵 北大付属図書館 |
エドウィン・ダン像
[エドウィン・ダン記念館]の周りは[エドウィン・ダン記念公園]になっています。この静かな公園の中に、峯孝氏作の像が佇んでいます。
[エドウィン・ダン記念館](リンク) |
(右)は、真駒内放牛場の写真です(所蔵 北大付属図書館)。原始林に覆われた原野を切り開き33ヘクタールを開墾し、牛64頭を飼育しました。
(左)は、真駒内第一公園に建てられている[放牛場跡地の像]です。 |