新渡戸稲造と萬里子夫人
札幌農学校を卒業した新渡戸稲造は1884年(明治17年)アメリカに留学、1891年(明治24年)帰国して、札幌農学校の教授に就任しました。萬里子夫人の実家から届けられた1,000ドルの遺産を原資に夜学校が創設されました。(所蔵 北大付属図書館)
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夜学校があった南4条東4丁目の現在地に[記念室]がありましたが、現在は[新渡戸稲造記念公園]として整備されています。この公園の一角に山内壮夫作の[新渡戸稲造・萬里子顕彰碑]が建立されており、往事の夜学校の思い出をとどめています。 |
大正10年(1921年)建て替えられた校舎です。
建坪116.5坪で生徒数250人が可能となりました。
(所蔵 札幌市教育委員会)
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昭和4年(1929年)10月竣工した新校舎。
建坪153坪で生徒数300人が可能となりました。
(所蔵 札幌市教育委員会)
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展示室の一つは当時の教室を再現しています。教壇に新渡戸博士が座り生徒にお話をしている雰囲気です。壁には校歌の歌詞が書かれていますが、この校歌は有島武郎作詞と書かれています。又、遠友夜学校の校章や校名の由来なども紹介されています。
(註)2011.10.04から[遠友夜学校]展示室は、大通西13丁目[札幌市資料館]の2階に移転しましたが、平成26年7月6日をもって展示室を閉鎖しました。資料類はすべて北大に移管されました。
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