[伏見地区]については、永田康治著 伏見史稿の中に地形・歴史などが詳細に記述されていますが冒頭の部分を紹介します。 [伏見は、札幌郡藻岩村の中央大字山鼻村の一部にて札幌市の西南に位し、藻岩山麓を南北に延びたる小部落なり。境界は屈曲甚だしく東は札幌市を境し、南は藻岩山の天然記念物記念原始林に迫り、南は狭く北部に広し。東西平均して約250間、南北1500余間にして総面積920余町歩とす。北に位する境川部落には札幌温泉会社の設営する一大温泉場あり本道随一の歓楽境たり。地勢は西南に山林、北部に園山と突出し三方山に包まれしをもって気候温和にして風稀なり]。 一方伏見の歴史を振り返ると、明治4年(1871年)山形県人の佐藤三蔵さん父子が伏見250番に入植その後4軒の農家が入植して[四軒村]を創ったのが始まりですが明治7年にはこの地は[山鼻村]の一部となり[山鼻山根通]と呼ばれ、集落もこの[山根通]を中心に形成されていました。その後明治39年[山鼻村]と[円山村]が合併し[藻岩村]となりましたが、ましたが、伏見も[藻岩村大字山鼻村]の一部でした。[伏見]と言う地名に変わったのは[伏見稲荷神社]と深い関わりがあります。[伏見稲荷神社]の来歴は別項で紹介しますが、明治40年現在地に移設されました。これを受けて明治34年[伏見]と言う地名が付けられました。 (註[藻岩山麓通]と[藻岩山]に囲まれたエリアが[伏見地区]です。[伏見地区]はエリア的には[藻岩山麓]ですが、[伏見地区]と[界川][宮ガ丘]は[藻岩山麓通]で繋がっていますのでこのサイトに含めました。 [山根通]
[伏見東緑地][藻岩山麓通]の入り口で山手に向って右手、ロープウエイ山麓駅と向かい合っています。藻岩原始林の入り口でもあります。その緑地に保存されているのが[旧小熊邸]です。下図は、旧小熊邸の外観です。この建物の屋根が特徴的で谷の多い屋根に工夫が凝らされています。小熊邸は元北海道帝国大学の教授であった故小熊捍博士の住居でした。小熊博士は北大時代理学部長や低温科学研究所長を勤められ方でフランスから帰国した氏は洒落た住宅を建てるべく北海道では建築の第一人者である田上義也氏に設計を依頼して作られたと言われています。旧小熊邸は札幌市が選定した[さっぽろ、ふるさと文化百選]にも選ばれた歴史的建造物です。1940年代に建築された住居ですが1998年現在の藻岩の麓に移転し復元されました。 [石森文学広場] 小熊邸とロープウエイ山麓駅の間の道路を進むと藻岩原始林でその手前に[石森文学広場]があります(右図)。 |