札幌駅北口

札幌駅南口と同様大きく変わったのが[北口]です。北口再開発事業により[北口]を中心に新しい街づくりが進めら
れています。

北7条通写真は札幌駅北口前を走る北7条通りです。これまで札幌の中心街は、JRの線路のため南・北が遮断され、北の発展が阻害されてきましたが、札幌駅が改築され市内中央部は高架となったため、北地区の発展に弾みがかかりました。この北7条通りを東に進むとサッポロピール園やかつての雪印乳業など札幌を代表する工場が連なっています。また西に進むと偕楽園や北大キヤンパスを横に見ながら桑園地区に向かいます。大変交通の多い幹線で大変なにぎあいを見せています。






エルプラザ

この北7条道路沿いに建てられている[エルプラザ]です。この道路沿
いには国の出先機関の第一合同庁舎や近くには札幌中央郵便局もあります。写真のエルプラザは前面はガラス張りの建物で札幌市の男女共同参画の事業で、広く市民の文化、教育の研修センターとしても利用されています。
デアイバチこの彫刻は、エルプラザの前庭に建てられています。流政之さんの作品で[デアイバチ]という名前が付けられています。
高さが3.89メートルの黒御影石で出来ています。[デアイバチ]の意味ですが[バチ]は、女性の体をイメージしており、[デアイ]は、[出会い]で、この彫刻が良き出会いの場所になつてほしいとの願いが込められているのだそうです。
JRtower
札幌で最も高いビル[JRタワー]です。北口から見た写真ですが173メートルのこのタワーにはホテル、展望台もありますが、特に160メートルの展望台からの夜景はすばらしく、新しい観光スポツトとしても脚光を浴びつつあります。
展望台から見る北口の夜景
展望台からの夜景

札幌駅北口
北7条道路側から見た札幌駅です。北口の広場には、各
地域と結ぶバスセンターや、観光バスのターミナルなどもありますが、広場には噴水なども設置され大変心が和む空間を作っています。

路線バス広場
札幌駅北口を出ると[バスターミナル]です。ここを終始発点として札幌市内の東・北方面への路線バスが運行しています。また、ここは、観光バスのターミナルでもあり、道内の観光地に向かう貸切バスが絶え間なく団体客を乗せて出発する風景が見られます。

合同庁舎 北海湯

札幌駅北口には、先ほどのエルプラザを始め、写真上左の第一合同庁舎や中央郵便局などがありますが、北7条通りを東上すると東3丁目に、さっぽろふるさと文化百選に選定されている写真上右の[北海湯]があります。この建物はかつての銭湯で1907年(明治40年)建てられたもので市内の銭湯では最も古い銭湯でした。煉瓦造りの建物で建築当時はこの地区は開拓使麦酒醸造所に代表される様な煉瓦を使った建物が多く、この北海湯も大変人気の高い銭湯だつた事と思います。現存する建物の正面には[北海湯]と刻まれた金文字が残されていますが、現在は[ギャラリー&バー]として営業されている様です。
一方、北7条通りを西下すると西7丁目にあるのが[清華亭]です。写真下左図は、現在保存されている[清華亭]です。この一帯はかつて[偕楽園]があった場所ですが、現在はこの建物のみが保存されています。清華亭と道路1本を挟んで北大キヤンパスです。この建物は和洋両様式で外観は洋風で統一されています。この建物は豊平館と並行して建築が進められ、演武場(現在の時計台)と共に我が国で少ない開拓使建築の遺構として貴重な建造物となっています。[偕楽園跡]は、さっぽろふるさと文化百選に選定されていますが、この清華亭も1961年(昭和36年)札幌市の有形文化財に指定されましたが、1978年(昭和53年)に復元工事が行なわれて現在に至っています。
[清華亭]は、偕楽園の中に、開拓使が貴賓接待所として建てたものです。約8ヶ月の工事により1880年(明治13年)に竣工しました。明治天皇は、明治14年北海道行幸のおり、竣工間もない清華亭に立ち寄られご休憩されました。その記念碑が現清華亭の前庭に建立されています(写真下中央図)。[清華亭]という名前の由来は、当時の開拓使長官黒田清隆が名付けた[水木清華亭]です。

清華亭記念碑


清華亭の和室に掲げられている額です。






この一帯はかっての偕楽園で、保存されている清華亭と道路を挟んで偕楽園緑地があります。JR函館本線の高架と清華亭の間の緑地でこの緑地に石川啄木の句碑が建立されています。