1950年代は電波広告の[揺籃期]であり、1951年、北海道に初めての民間放送が誕生して放送広告がスタートしたが50年代末にはラジオ局2局、テレビ局2局時代を迎えた。テレビ放送が開始されるに従って広告のウエイトも年毎にラジオからテレビへとウエイトが変わる現象が顕著となった。

表6


1952年3月10日、HBCラジオ開局

1962年12月15日、STVラジオ開局

初めての民放ラジオが開局してから5年間は
HBCラジオ1局時代で、収入も年々増大化の
傾向を示した。
HBCラジオが開局してから10年後に2番目のラジオ局であるSTVラジオが開局して本道も
ラジオ2局時代を迎えた。

表7

ラジオの広告費も開局当初は中央スポンサーの依存度が高かったが、1959年には全国レベルでテレビ広告費がラジオ広告費を上廻る逆転現象の影響と、ラジオ局の放送体制の確立に伴う道内地域ごとの番組制作による広告収入の伸びにより、この後道内シェアは年々増大化の道を辿ることとなる。

表8
1957年4月1日、HBCテレビ開局
1959年4月1日、 STVテレビ開局1959年4月10日、皇太子明仁親王と正田美智子さんご成婚
この図が示すように民放草創期は、新聞の力が圧倒的に強く、電波も'57-'59はラジオ広告費がテレビ広告費を上廻っていた。
このご成婚イベントがその後のテレビ広告費急伸の起爆剤となり、'60年
テレビ広告費がラジオ広告費を上廻る。全国レベルより1年遅れである。

表9

'59年を境としてラジオの道外からの広告費は減少化の傾向を示し、代わって道内広告費が増加の傾向を示す。テレビの影響とあわせて道内の経済環境の向上による広告市場の活性化もその一因となった。

' 表10

59年の皇太子ご成婚を機にテレビ広告費も上昇気運に乗り、'60年のテレビの道外広告費も前年の倍増となったが、道内広告費も堅調な伸びを示した。