発展を続ける札幌市街

一大イベント[開道50年記念博覧会]



   札幌駅前に設置され博覧会アーチ     博覧会会場となった中島公園
   所蔵 札幌市公文書館          所蔵 札幌市公文書館
大正時代を迎え札幌発展の起爆剤となつたのは、大正7年8月1日から9月19日まで札幌・小樽で開催された[開道50年記念博覧会]でした。札幌では、第一会場として[中島公園]、第二会場としては、北1条西4丁目の[工業館]でした。この博覧会が契機となって各銀行、会社の札幌進出が相次ぎ、加えて定山渓鉄道の開通など交通網なども大きく発達して都市基盤の整備は大きく前進しました。博覧会期間中の入場者は140万を超え全国的にも大きな反響を呼びました。

市制施行

明治2年、島義勇によつて始められた札幌の街造り(札幌本府)は、一時挫折しましたがその後引き続き開発が進められ、南1条通りをもって南北・大友堀(現在の創成川)をもって東西に分かれる現在の碁盤目の区画ができあがりました。明治13年3月1日、札幌区役所が開庁して札幌の新しい行政組織がスタートし、札幌も急速に近代化の道を歩み始めました。大正11年(1922年)8月1日には、北海道にも府県同様の[市制]が施行され[札幌市]が誕生しました。この年の北海道の人口は240万で、札幌区の他に[市制]を敷いたのは函館、小樽、旭川、室蘭、釧路の5区でした。新しい札幌市は、戸数22,915戸、人口127,044人で函館に次いで道内では二番目でした。札幌では、8月3日に中島公園で大祝賀会が開催され、夜には提灯行列も行われるなど祝賀ムード一色でした。
市制が施行され初代の市長には、高岡直吉氏が就任されました。氏は、門司市長でしたが、札幌農学校の卒業生でもあり札幌とも縁の深い方でした。市の庁舎には、明治41年に建てられた北1条西2丁目の区役所をそのまま使用しましたが、手狭になった為新規に建築することとなり、新庁舎は昭和12年3月31日に北1条西4丁目に落成しています。

発展する札幌の町並み

明治後半から大正時代にかけて札幌も、区役所、駅、郵便局を始め銀行、デパートなどの大型の建物も建築が進められる一方、大通公園、円山公園、中島公園等の整備も進められました。

[大通公園 大正7年]

大通公園は、1909年(明治42年)造園家の長岡安平氏を招聘して逍遥地として整備したのが始まりです。この写真は、1918年(大正7年)当時の公園の俯瞰図です。(温古写真帳より転載 所蔵 札幌市公文書館)


[中島公園 大正中期]

1882年(明治15年)この場所で北海道物産会や競馬会が開催された事が契機となって[札幌機械所の貯木所]を広げて池を作り、1889年(明治22年)には花園を造成しました。1908年(明治41年)には大通公園を設計した長岡安平に公園の設計を依頼して整備を進めました。1918年(大正7年)にはこの公園も開道50年記念博覧会の会場となりました。
(所蔵 北大付属図書館)
[旧豊平橋 大正13年]
豊平橋の歴史は明治4年(1871年の丸太による最初の橋を嚆矢としますが、大正10年(1921年)本格的な鐵橋の架設が行われ13年(1924年)竣工したのが旧豊平橋です。この旧豊平橋はタイドアーチ式で、橋長120b70、巾員18b29で、当時では超豪華な道内第一の名橋と称され、大正14年(1925年)には市電が開通し札幌の名物の一つに数えられました。(交通史写真帳より転載所蔵 札幌市公文書館)

[札幌控訴院 大正15年]
この建物は[旧札幌控訴院]で1926年(大正15年)9月に建てられたものです。外壁は内側にレンガ、外側に軟石を積み上げた構造で、貴重な歴史的建物として平成9年に国の有形文化財に指定されています。昭和22年からは札幌高等裁判所が、昭和48年からは現在の札幌資料館として使われています。所蔵 札幌市中央図書館


[北海道鉄道管理局 大正7年]

札幌区5条4丁目の一角に偉容をを誇っていました。
札幌開始50年記念写真帳より転載 所蔵 札幌市公文書館

[今井呉服店]
丸井今井百貨店の前身で火災で焼失の為大正15年再建]しました。
所蔵 札幌市公文書館

[狸小路商店街]
大正中期の繁栄を続ける様子です。
所蔵 札幌市公文書館


[北海タイムス社]
現在の北海道新聞の前身で大正13年大通西3丁目に新社屋落成。
所蔵 札幌市公文書館