[新琴似]は、札幌市の北区にあり、現在はJRの学園都市線も走り、新琴似駅も高架駅となり札幌のベツトタウンとして大きく発展している街です。この地に屯田兵村が建設されたのは、[琴似][山鼻]から遅れて明治20年です。ここに入植した屯田兵は九州、四国地方からの出身者が多く220名が入村し第一大隊第三中隊を編成しました。かつての中隊本部は、現在の新琴似神社の敷地内にありました。
[もやい井戸跡碑] 本部内の展示室に展示されている[もやい井戸跡碑]が新琴似5条6丁目の個人住宅の玄関前にありますが此処にあるのは左図の案内板のみです。 この案内板には次の様に書かれています。 [明治20年(1887年)新琴似に九州出身を中心とする屯田兵146戸が入植、その生活を支えた井戸は4戸の共同使用で風呂が併設されていた。[もやい]とは、[共同]の意味で、この井戸は水脈までモウソウ竹が打ちこんだもので水が30aほど自噴していた。竹の長さは約30b、継ぎ目にはコンブが巻かれていたと言われている]。 [新琴似屯田兵屋] [新琴似屯田兵屋]は、新琴似1条西6丁目に保存されていましたが現在(2015年)は取り壊されています。屯田兵縁の「安春川] 「安春川]はJR新琴似駅と新川駅の中間である新琴似4条と5条の境である1丁目から真直ぐに伸び最後は発寒川に注いでいます。屯田兵縁の川は遊歩道も新しく整備され地域の憩いの場としても貴重な存在です。遊歩道沿いに[安春川碑と由来碑]が設置されています。 碑文には凡そ次の様に書かれています[この川は明治23年新琴似に入植した屯田兵が水害防止と温地帯の農業改良のため開削した排水溝で、長きにわたりこの地にうるおいと稔りを与えてきました。しかし札幌の発展に伴いこの地にも急激な宅地化が進み水の流れが途絶えたままでした。平成3年11月[先人の苦労を偲ぶプロムナード]をテーマに下水道の高度処理水を新たな源としてかっての[せせらぎ]を回復し、水と緑が映える快適な憩いの園として生まれ変わりました。平成3年11月 札幌市]。 起点である1丁目から13丁目までは[散策路]も整備され、この間の橋の欄干や擁壁には屯田兵縁のタイル絵などが随所に掲示され将に[水辺のギャラリー]といった趣で、絵を見ながら往時の屯田兵を偲ぶ事ができます。 新琴似8丁目橋欄干に掲示されているレリーフ 散策路サイドの擁壁に設置されているタイル絵 散策路にはめ込まれているタイル絵 |