[篠路の屯田兵]は、札幌では琴似、山鼻、新琴似に次いで4番目の兵村です。現在の屯田地区は新しい住宅地として大きく発展していますが、この屯田地区にある[江南神社][屯田開拓顕彰広場]には往時を偲ばせる数々の碑が建立されています。
記念碑
[開基90周年記念顕彰碑]
[江南神社]に建立されている記念碑です。
[碑文]には次のように記載されています。
我が町屯田の基礎を築いたのは屯田兵第一大隊第四中隊で明治22年7月15日、220家族1056人がこの地に入植した。この屯田兵には二大使命があつた。一つには屯田兵として北方防備の第一線に献身する。二つには北海道開拓の先駆者となることであつた。この地に入植した屯田兵は四国、九州、北陸、各県の士族で寒冷不毛に耐え家族と共にこの使命に服した。兵は連日厳格な軍律の下、教練を続け家族もまた、教令に従って開墾に励み、本道開拓の大きな使命を遂行、大自然の猛威もよく克服して子孫のの為楽土建設に汗を流したのである。かくして今日我が町屯田は基礎が出来、今日の隆盛を迎えた。(以下省略)

相模丸小樽上陸

明治22年(1889年)7月15日、相模丸(1885トン)で小樽港から上陸。(所蔵 北大付属図書館)
手宮から無蓋列車

手宮から無蓋列車で琴似駅で降り徒歩で篠路兵村に入りました。(所蔵 北大付属図書館)
移住記念碑移住記念碑]
篠路兵村の入村者は、徳島県29戸、和歌山県37戸、山口県49戸福岡県13戸、熊本県45戸、福井県20戸、石川県32戸、の220戸1056人でした。
この記念碑は入植後7年経つた明治29年(1896年)に建立されました。
屯田開拓の歴史

1889年(明治22年) 屯田(篠路兵村)に屯田兵入村。
1890年(明治23年) 公立長泳簡易小学校(現屯田小学校)開校。
1896年(明治29年) 江南神社造成。屯田中隊本部引きあげる。
1898年(明治31年) 石狩川氾濫、大洪水発生。
1904年(明治37年) 水害のため兵村の人口三分の一に減少。
1916年(大正 5年) 灌漑溝が完成する。
1931年(昭和 6年) 石狩川治水工事完了。
1955年(昭和30年) 篠路村が札幌市に編入。
1969年(昭和44年) 約900戸の屯田団地が誕生する。

望郷ぼアカマツ

江南神社の境内に[望郷のアカマツ]が4本あります。明治27年、屯田兵本部は、屯田兵が故郷を偲ぶ縁にと屯田兵220戸にアカマツの苗木と、オンコの苗木を[望郷の松]として配りました。このときの松がこの神社の境内に4本残っています。



屯田兵の制服姿

屯田兵の制服姿です。当初屯田兵の採用年齢は18歳から35歳まででしたが、その後17歳から30歳に変更されました。(展示パネルから転写)