情報化が進む放送広告

1960年から1970年代にかけて当時通産省の情報産業部会が提出した答申書には[第一次情報革命] という用語が見られます。本道においても情報化の流れは放送広告の分野でも顕著な動きとなって顕れ始めました。此までのラジオ・テレビCMは商品情報、生活情報として人々の生活と密着しながらこの後の放送広告のあり方を大きく変化させることとなりました。此を端的に示す事象としては[テレビ・ラジオショツピング]が挙げられます。特にテレビの場合、これらを推し進める背景となったのは、各テレビ局の地域密着路線にあわせた情報番組の編成でした。先鞭をつけたのはHBCテレビが1972年5月29日スタートした[パック2PM]でしたが、やや遅れて1973年1月8日からはSTVテレビも[2時のワイドシー]をスタートさせ、午後帯の主婦を主たるターゲットとした番組編成が本格化したのです。

生活情報番組のルーツ[奥様スタジオ

生活情報番組の魁となったのは、1966年8月1日スタートしたHBCテレビの[奥様スタジオ]です。テレビの視聴者参加番組として毎回多くの主婦がスタジオに集まり、様々な話題について語り合う光景が見られました。このあたりからテレビコマーシャルにも大きな変化が生まれてきました。所謂[生CM]です。CMの内容も単なる商品の説明にとどまらず、生活情報の一部としての有用性なども幅広く取り上げられCMに対する視聴者の関心を高め、放送広告の面でも大きな役割を果たすこととなりました。この番組はその後[パック2PM]へと大きく前進しました。

道内各局の本格的な生活情報番組(HBCテレビパック2PM)[パツク2PM]の1コーナーとして編成された[テレビショツピング]は、札幌市内のデパート[丸井今井][三越][五番館][東急][松坂屋]の5デパートが曜日毎に商品を提供していました。
お茶の間でテレビを視ながら手軽にショツピング出来る快適さと利便性が評判を呼び、このショツピングが契機となってデパートの広告面にも大きな変化をもたらしたのです。現在の通販の先鞭をつけた意義は大きいものがありました。この受付には局内に受け付け電話20台を揃えて注文に応じましたが、放送後は電話が鳴りっぱなしで申し込みにも大変苦労の連続でした。<資料 北海道放送社史>

(STVテレビ2時のワイドショー)

[2時のワイドシヨー]のキャツチフレーズは30代の主婦を対象に[人間情報]を送る事とし、北海道の主婦の生活感覚に深く浸透する事を狙い、ローカル色に溢れた生活情報番組を指向したものです。そのためホステスとして市内の主婦を起用していました。この番組には[ショツピング情報]も一つの柱として編成されていました。この番組も現在は[どさんこワイド180]に統合されこの中でシヨツピングも編成されています。
<資料 札幌テレビ放送20年史>