10月19日この日の午前中の予定を終えてルクセンブルグ航空LG-207便で15.20 分次の目的地バリに向かう。離陸後間もなく16.20分パリのCDG空港に到着する。CDG(シャルル・ド・ゴール)空港は、一般的には[パリロワシー空港]と呼ばれています。この空港はパリの都心部から北へ25qのロワシーにあるため程なくホテルへ到着した。 パリでのホテルは[レ・グラン・インターコンチネンタル(LE GRAND HOTEL INTERCONTINENTAL)で、ここに三泊して22日に次の訪問地チューリッヒに出発するので、20日ー21日はパリの観光と自由研修で過ごす事となる。ホテルのすぐ前には、1875年完成した大理石とブロンズに彩られた豪華な劇場であるオペラ座がその偉容を誇っており、我々を歓迎してくれる様な思いに駆られてホテルに入館する。聞くところによるとオペラ座は、この劇場を設計した設計者の名前に因んで [オペラガニエルOPERA GARNIER]と呼ばれている様だ。 (写真左図 ホテル全景) (写真右図 オペラ座の一角) ホテルで旅装を解き、市内での夕食会から帰るが、誰一人としてルームで寛ぐ者もいない。三々五々示し合わせたようにホテルのテラスでに集まる。静かに暮れゆくバリの夜をビール片手に、明日からの観光と自由研修についての情報交換が始まる。それにしても暖かい。[枯葉]にイメージされる晩秋のバリの風情はない。しかし観光には天気が最高の贈り物であり、その意味では明日からの観光は大変素晴らしいものになること請け合いである。 談笑後、ルームに戻りフランスワインを傾けながらテレビのスイッチを入れ様とするが、これがなかなか旨くいかない。フランス語のマニュアルがあるも役に立たずもう少しフランス語でも学んでおくべきだったと後悔することしきり。試行錯誤の末、漸く画面を出す事が出来た。放送はニュース番組のためフランス語はわからないものの大体の内容は理解出来た。(上の写真はホテルのパンフレットを使っています) パリの散策(10月20日-21日)ルーブル美術館(Le Muse'e du Louvre) ルーブル美術館は世界でもトップクラスの美術館として世界的にも有名で、パリを訪れた観光客は必ずといって良い程訪れる観光のメッカでもある。この美術館は当初セーヌ川を固める要塞として建造されたと言われている。この美術館には世界に誇る展示品が20万点も所蔵されているとも言われている。従って短時間で全部を観賞することは到底不可能であり、最初から目的を持って出掛けることが必要である。私は前回かなりの時間をかけて観賞したので今回は再度見たい展示品に絞って観賞した。 今回も最初は[ミロのヴィーナス]の観賞は欠かすことが出来ない。 ミロのヴィーナス ルーブルを訪れた者全員が必ず観賞するのが、ミロのヴィーナスであろう。深く聡明な表情と愛に充ち満ちたふくよかな輪郭の裸像に魅了されてしまう。 ミロのヴィーナスの愛称で親しまれているこの像は正式には[アフロディーテ像]で、1820年4月8日エーゲ海のメロス島で発見されたもので、この像の高さは2.02bで、制作された時期は大凡BC(紀元前)150-120年頃ではないかと推定されている。ルーブル美術館にはこの他にも有名な[モナリザ]の肖像があるが、これはイタリアの美術家レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた油絵として歴史的にも著名な肖像画として知られている。館内を観賞していると展示作品の前に画家らしき人物が盛んに絵の模写を行っているのに出逢う。詳しくはわからないが将来の画家を目指す美術学校の学生が勉強の一環として巨匠の描いた絵の模写を行っている事の様であるが、一寸覗いても見事な模写で我々素人目には本物との区別がつかないくらいである。このような修練一つを見ても、芸術の都パリでのこのような積み重ねが世界的な数々の作品を生む土壌を育んでいることを実感させられた。このWebを書いている最中、4月6日から新たに[モナリザの部屋]が完成しオープンというニュースに接した。世界的名画の移動風景が映し出されていたが、慎重の上にも慎重な作業で、かってモナリザを見たときには大勢の鑑賞者で身動き出来ない状況であったが、今度は専用の展示室となりこの面でも多少の余裕が出来るのではなかろうか、そんな思いを込めながらニュースに映し出されるモナリザに再会する。 ノートルダム寺院 ループル美術館を出て、[芸術橋]からセーヌ川を渡るとノートルダム寺院の姿が見えてくる。ノートルダム寺院はパリのセーヌ川に浮かぶシテ島にあるカトリツク教会で、1163年パリ司教シュリーによって着工し、1345年に完成した初期のゴシック建築である。ノートルダムは[我らの貴婦人]を意味しており、聖母マリアに捧げられた教会とも言われている。この寺院では特にステンドグラスが有名で、寺院内部には3つの[バラ窓]と言われるステンドグラスが光を放っている。 この寺院に入り美しいステンドグラスに見とれている内に、敬虔な祈りを捧げたいような気分に浸ってくる。 セーヌ川の遊覧船 凱旋門 凱旋門はフランスの国宝的存在で、ドゴール広場の中央に建っている。この凱旋門の本格的な建設が始まったのが1810年4月2日と言われている。途中で一時工事の中断があったが最終的には1836年7月29日に完工した。この凱旋門はローマにあるコンスタンチンの門を参考に作られ、高さ50b、幅45bでこの種のものでは世界最大である。凱旋門の4面にはフランス革命とナポレオン第一帝政時代の数々の戦勝を記念した彫刻が施されており、フランスに功績のあった558人の将軍の名前も刻まれている。写真左はシャンゼリゼ大通りで全長約1.9`、この大通りの左右にはレストラン、カフェ、土産店などが軒を連ねており、此処を歩いているだけでパリのムードが全体に漂う。この中を世界中から訪れた観光客の群れが三々五々散策を楽しんでいるが、中でも日本人の観光客の姿が目を惹く。ガイドさんの振る小旗を先頭に歩く姿は日本観光の見慣れたパターンとはいえ日本経済成長をそのまま絵に描いた様なものだ、そして日本と言えばカメラ屋に並ぶフイルムも日本のブランド、街角で取材しているカメラも、メイドインジャパン、経済大国日本の姿をパリの街角で実感させられる。 エッフエル塔 この塔の高さはテレビのアンテナを含めて320b、エッフェル塔は1889年の万国博を記念して建設されたものでこの年の3月31日3年工期を経てオープンした。建設後20年で取り壊される予定であったが、その後フランスの放送局の送信施設として使われているが、現在では世界的にもパリのエッフェル塔として定着し、パリ観光名所として賑わいを呈している。 ドーム教会(アンヴァリード) この教会はルイ14世の礼拝堂として1677年に着工し1735年に完成した。 ドームは黄色の輝きをみせ尖塔までの高さが107bでドームは350.000枚の黄金で覆われている。教会内部を参観することは出来なかったが、内部は床が大理石をモザイク模様で敷き詰められ様々な彫刻で彩られているとの事であった。 見上げるような円天井をもった内陣の中央にフランスの英雄ナポレオンの墓があるが、墓石は緑色の花崗岩とロシアの斑岩で作られ遺骸もも六重の棺にに収められていると言う。ナポレオンの墓を取り囲んで彼の兄であったスペイン王 ジョセフや彼の腹心の名将達の墓も安置されている。 チュイルリー庭園 チュイルリー庭園のなかの[カルーセル広場]から眺めた風景で、美しい彫像が庭園とマッチした形で立ち並び、いかにも芸術の都パリという趣である。 パリには多くの公園、庭園がありそれらはそれぞれの特徴ある景観を誇っており、パリの観光スポットとしても著名な処が多い。 公園ではないがパリの西側に位置する[ブローニューの森]がある。この森は広さが約900haあり、休日等は多くの市民で賑わっているとの事であるが、夜の一人歩きは危険だとガイドから注意されるほど治安は余り良くない。我々はこの森にあるレストランで催された現地のメディア関係者との懇親会のため真っ暗な車道を森に向けて走り続けたが森の概観は全くわからなかった。 バリでの日本食 終日の観光を終え我々はパリの夜の世界へと繰り出す。今日の夕食は久方ぶりの日本食である。日本人が経営す る日本料理店[体心]で日本酒を酌み交わしながら本物の日本食を頂く、バリでも日本食は大変歓迎されている様 で多くの日本料理店がシャンゼリゼ界隈やオペラつ通り周辺にある。我々が訪れた[体心]以外にも[弁慶][伊勢 ]等の他サントリー直営の日本料理店もあつた。 ショツピング フリータイムの時間を市場視察を兼ねてのショツピングとして行動を開始する。パリと言えばフアッシヨンの世界、女性にとっては老いも若きも憧れの地であり、ブランドショツプでのショツピングは楽しみの一つでもあろう。我々男性には余り縁がないもののその実態をこの目で確かめるべく、開店前の[エルメス]に来ると既に玄関前に多くの観光客が列を成している。やはり日本人観光客の数が一番多いようだ。開店と同時に店内に流れ込んだ観光客はお目当ての商品を見定め、計算器片手に金額の換算を行いながら次から次へと商品を手中に抱えレジへと急ぐ様子は、我々が日常見慣れたバーゲンセールの売り場と同じだ。 我々は次なるブランドショツプ[ルイ・ヴイトン]を訪れる。さすがに世界に誇るブランドショツプだけに婦人物だけでなく、我々も触手を伸ばしたくなるバツグ類なども処狭しと並べられ、高額商品も躊躇なく売れているようで、恐らく最初から事前のリサーチを終えて来店する客も多いのだろう。改めてブランド品に対する関心の高さに驚かされる。この他にもブランドシップでは[グッチ][シャネル][クリスチャンディオール]等が有名で多くの観光客が訪れているようだ。ブランドショツプでは外国の観光客のショツピングの姿を見聞したので、今度はパリの市民の消費活動の姿を見聞すべく、デパートの見学に赴く。パリには日本の三越も出店しており、前回訪れた際は土産物はすべて三越で調達したので、今回は[オ・プランタン]を訪れた。このデパートは1984年に東京の銀座にオープンして日本でもお馴染みとなつたがこのデパートの1階には高島屋が入店している。このデパートが竣工したのは1889年でパリでも老舗中の老舗として市民にも親しまれているようだ。建物の外観も重厚で歴史的な重みを感じるような趣である。各フロアも広く特にプティク関係に力を入れているように感じたが、商品の陳列も定かな記憶がないが生活のパターンに併せた合理的な陳列であったような気がしている。 2日間の市内観光や、マーケッテイング視察を終え、次の訪問地であるチューリッヒへの出発を控えたバリ滞在最後の夜、以前から名前だけは聞いていた[ムーランルージュ]でのエンターテーメントを楽しむ事が出来た。ショータイムに繰り出される大胆な演出とスケールの大きな舞台装置など度肝を抜かれるようなステージ展開であった。我々が出掛けたのは午後11.45分でそれから数時間のショータイムを楽しみホテルに戻る。 翌10月22日12.10分AF-982便でパリCDG空港を飛び立ち約1時間後スイスのチューリッヒ空港に到着する。機中から去りゆくバリと近郊の眺めを振り返りながら今回は訪れることが出来なかったが、次の機会には前回訪れたバリの近郊ベルサイユ宮殿を始め古城巡りなどもたっぷりと時間をかけて訪れたいとの思いに駆られる。 |