琴似川からみる手稲の山並み

現在の[琴似地区]は、札幌市西区にあり、JR、地下鉄東西線、路線バスが区内を走り札幌の副都心として大きな発展を遂げていますがこの前身は[琴似屯田兵村です]。
琴似兵村は、明治7年(1874年)に208戸が完成しました。今年2007年は入村132年の年に当たります。地下鉄[琴似駅]を中心とした街の中心街にも[兵村兵屋跡][屯田の森][授産場跡]など屯田兵村の面影を留める遺産が残されています。区役所、消防署、区民センター等が並ぶ行政エリアの中の一つ消防署の建物の中に[琴似屯田歴史館資料室]があります。

札幌市西消防署琴似出張所西区役所琴似神社
    消防署          区役所        琴似神社

資料室外観  
この建物には[札幌市西区消防署琴似出張所]と、[琴似まちづくりセンター]が入っていますが、この2階部分が[資料室]です。地下鉄[琴似]から徒歩5分程の場所で、24軒手稲通と国道5号線の中間、右隣が西区役所、左隣が屯田の森があり、道路を挟んで向かいには琴似神社があります。
琴似屯田歴史館 資料室 札幌市西区琴似2条7丁目  011-614-8245


琴似屯田兵村の建設
[琴似]は、アイヌ語の[コツ・ネイ(窪んだところ)]が語源です。1875年(明治8年)札幌圏で最初の屯田兵村として開村したのが[琴似兵村]です。亘理藩、斗南藩、庄内の士族など198戸が入植して開拓が進められました。現在の区役所前の道路(琴似本通)が兵村の中心で、この道路を挟んで兵屋が建設されました。
琴似兵村
琴似兵村の建設を進めたのは開拓使東京出張所に出仕していた村橋久成で、最初に10間幅の中央道路を建設しました。(現在の琴似本通)此を兵村の中心として東西南北に道路を設け村内の兵屋の地割を行い左図の様に整然とした兵屋が配置されました。この中央道路を挟んで南側(現在の西区役所に隣接した屯田の森)に週番所(後の中隊本部)をまた、現在の琴似神社に養蚕の作業所を設けています。兵屋の配置は一戸が間口10間、奥行15間、、150坪の地積ですが、東西に通じた6間幅の道路の左右に10軒ずつ兵屋が並び、南側から1番通り、2番通りと名付けられ6番通りまで200戸の兵屋が並びました。この6番通りの北側に8軒が建築され合計208戸となりました。この兵村は現在の札幌市西区琴似3丁目から6丁目にあたります。所蔵 北大付属図書館