札幌市中央区山鼻地区は、屯田兵によつて開発が進められたエリアです。札幌市の中心部にも近く、藻岩山の山裾に拡がる住宅地として大きく発展を遂げています。近くに流れる[豊平川]そして、中島公園など自然にも恵まれたエリアです。
このエリアの中に屯田兵の記録を収めた[山鼻屯田記念会館]があります。
山鼻記念会館[山鼻屯田記念会館]は山鼻兵村の中隊本部があった[山鼻公園]に隣接しており、1911年、時の皇太子(後の大正天皇)が札幌行啓に因んで命名された[行啓通]に面しています。記念館の内部には屯田兵に関する様々な資料や貴重な写真類も展示され、当時の山鼻屯田兵の生活ぶりや活動の姿を知る事が出来ます。
山鼻公園
記念館を出て[行啓通]をわたると目の前が[山鼻公園]です。ここには[山鼻兵村開設碑]が建立されています。この側には案内パネルが並べられていますが、そのパネルには[この兵村開設碑は兵村開設20周年を記念して明治27年9月3日に建立された。石碑は札幌軟石を積み上げ台座を含めて6b有る]と書かれています。碑は長年の風雪に晒され刻まれた文字も薄れ歴史を感じさせてくれます。
開拓兵像
[山鼻地区]も開拓使によって開かれた街で、藻岩山の眼下に広がる札幌市の南西の一角にあります。当時の山鼻は未開の原生林に覆われ、アイヌ語で[ユクニクリ(鹿林の意味)]と呼ばれていたように沢山の鹿が群れ遊んでいたとのことです。
この地区に屯田兵が入村し当時は約240戸が建てられこの人達で山鼻兵村が開村しました。当時の呼び名の[東屯田][西屯田]は今も日常の呼び名として使われています。明治6年に創設されたこの制度も明治37年にその使命を終えました。山鼻兵村が開村して早1世紀が過ぎましたが、5月29日が山鼻兵村の開村日だそうです。現在札幌から定山渓に向かう通称[石山通]の南警察署隣の公園の一角に高さ3bの[山鼻屯田兵の像]が建っています。
見取り図記念会館は、石山通から行啓通に入った処にあります。隣は、山鼻小学校でかつては屯田兵の練兵場でした。山鼻小学校と道路を挟んで、山鼻公園があります。
この一帯が山鼻屯田兵村の中心的な機関が多くあった場所です。資料室は、記念会館の2階フロアにあります。


山鼻屯田記念会館  札幌市中央区南14条西9丁目 011-512-5020