新聞・放送メデイアの誕生と情報時代の到来 |
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本格的な新聞メデイアの誕生 |
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北海道での本格的な新聞の発行は、昭和に入ってからですが、札幌での新聞は明治13年(1880年)6月発刊した[週刊札幌新聞]が最初です。この新聞は翌明治14年に45号で廃刊となりました。6年余の空白期間を経て、阿部宇之八が1887年(明治20年)の9月、北海道庁から印刷機の貸し下げを受けて始めた[北海新聞]でした。その後宇之八は、新聞名を、北海道毎日新聞と改め、これまでの週2回の発行を日刊新聞とする等新聞の普及に大きな努力を払いました。この後、1901年(明治34年)9月には、北門新報、北海時事と合併して新たに、北海タイムスを創刊しました。現在の北海道新聞は、1942年(昭和17年)11月1日、これまでの、北海タイムス、小樽新聞、新函館、旭川新聞、旭川タイムス、室蘭日報、十勝毎日新聞、北見新聞、網走新報、釧路新聞、根室新聞、の11紙が統合して新たに創刊したものです。写真は、旧北海道新聞本社社屋です。所蔵 札幌市公文書館 北海道新聞の創刊により情報メディアとしての本格的な新聞が誕生しました。この後1949年(昭和24年)には新たに[北海タイムス]が誕生し地元紙として活動を続けてきましたが、1998年(平成10年)9月2日に廃刊となりました。北海タイムス廃刊後の北海道の新聞メディアとしては、北海道新聞を中心に朝日・毎日・読売の中央三紙が地元印刷を行っています。北海道新聞は、新聞の他にも新しい放送メディアにも参画し多角的な情報メディアとして活動を展開しています。写真は現在の北海道新聞社の本社社屋です。 |
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NHKラジオ放送開始 |
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北海道における放送の歴史は、1928年(昭和3年)札幌中央放送局の電波発射に始まりました。1925年東京、大阪、名古屋の三放送局が合同して社団法人[日本放送局]が設立されると同時に5ケ年計画で札幌、仙台、広島、熊本に放送局を置くこととなりました。 1927年6月20日札幌に日本放送協会北海道支部が設立されましたが、この世話役として札幌商工会議所が大きな力を尽くました。一口弐 百円の出資金で638人、717口の出資を得て北海道支部が設立されたのです。 1928年6月5日AM11時[JOIKこちらは札幌放送局であります]のコメントが発せられ、本道での初めての放送がスタートしました。[NHK札幌放送局の歩み]によれば当日の聴取契約数は2.851件でしたが、当時の聴取料は月額1円、聴取許可料(契約金)も1円と言う記録が残されています。1952年HBCラジオ開局時の全道受信契約数は 50万を突破しています。NHK札幌放送局も開局当初は演奏所は中島公園に、送信所は月寒にありました。 演奏所があった中島公園には現在放送記念碑が建立され在りし日を偲ぶ縁となっています。 (註) 写真左は、中島演奏所、所蔵 札幌市公文書館[新しい札幌]より、写真右は、放送記念碑。 |
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北海道初の民放誕生 |
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北海道で最初の民間放送は1951年11月30日創立された北海道放送株式会社ですが、北海道放送設立の母胎となったのは北海道新聞社でした。当時民放の採算性が議論の焦点となり、北海道における民放の採算性に関しては否定的な意見が主流でありましたが電波三法が成立し、1950年10月には[放送局開設の根本的基準]により、一地域一局、他地域に跨るネットワークはこれを認めない、と言う方針が決定しこの段階では北海道での民放出願社は北海道放送1社となり、開設の根本基準となった免許方針は北海道地区での北海道放送の開設をほぼ決定的なものとしました。1952年3月10日にはHBCラジオ局が開局しますが、試験放送は此に先立つ1月19日、札幌村の送信所から[JOHR。JOHR。こちらは北海道放送でございます]と、道内民放の第一声となる試験電波が発射されたのです。 写真は、創立当初の本社社屋(現南1条西3丁目大丸藤井ビル) |
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テレビ放送の開始とメディアの拡大 |
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