現在北海道神宮[表参道]と呼ばれている道路はかっては[神宮通]と呼ばれていました。札幌を東西に縦断する[北1条通]は、[北1条宮の沢通]と呼ばれ、始点は北1条西4丁目で終点は西区宮の沢5条1丁目です。この路線の中で西11丁目から西25丁目までは[宮の沢北1条線]です。従って西11丁目から西25丁目までは[北1条宮の沢通]と[宮の沢北1条線]との重複路線です。
かって北1条通は西25丁目までで25丁目以西は新しく出来た道路でここを表参道(神宮通)と呼んでいました。
(註)下記の図で赤線で引いたところが[北1条宮の沢通]です。
[表参道]の区域については土地区画上[表参道]と言う地名はなく地域住民が付けた呼称であるため区域についても様々な見解があるようですが、呼称が生まれた経緯からすると北1条西25丁目(第一鳥居)から宮が丘(第二鳥居)を指していると考えてはどうでしょうか。

[北海道総鎮守 北海道神宮」碑]


[北1条宮の沢通]の始点である北1条西4丁目の分離帯には北海道神宮の社号石標が建立されています。
北海道総鎮守 北海道神宮」碑です。東側の正面には「北海道総鎮守 北海道神宮」と彫刻されていて、その南面には「従是西二十八町」と記されています。28町は約3キロメートルなのでこの石碑から西25丁目の第1鳥居までの距離を示していると思われます。この石標は、大正9年に西20丁目から第1鳥居までの耕作地が開削されて、北1条宮の沢通が表参道として開通したことを記念して建てられたものです。碑の裏側の西面には、「大正九年六月一日神社参道開鑿記念 祭典大十區]と記されています。

北1条通を西に進むと2019年解体された日銀札幌支店、NTT北海道、旧厚生年金会館、知事公館、札幌近代美術館などが点在しています。下記左図は北1条西20丁目界隈です。かって[円山町]時代札幌区との境界線が20丁目でした。更に進むと西25丁目の十字路です(右図)。この十字路を右折すると[宮の沢北1条線],左折れすると[西野白石線]で直進すると[北1条宮の沢通]です。

[北海道神宮第一鳥居]


西25丁目を過ぎた場所に巨大な鳥居が建っています。この鳥居は1895年(明治28年)北海道神宮第一鳥居として札幌軟石で建てられましたが、1928年(昭和3年)に外側に銅板を巻いた高さ8.7mの鉄筋コンクリートに生まれ変わりました。明治から大正初期まではこの一帯は耕作地で、大正時代に入ってからは野菜を生産して札幌市民に供給していました。大正9年に、神社社殿から札幌市街までを真っ直ぐに結ぶ道路の新設が計画され、これまで耕作地だった西20丁目から西24丁目のこの鳥居迄の300間に幅11間の道路を造成して[札幌神社参道]としました。
これが現在[表参道]と呼ばれています。


写真(左)は北1条西27丁目界隈の写真です。25丁目を過ぎると閑静な住宅街ですが近年大型高層マンシヨンが林立し街の景観が多く変貌しつつあります。写真(右)は第一鳥居方向を俯瞰したものですが25丁目から緩やかな坂道になっていることがお判り頂けると思います。


[母子像・ふるさと]
円山公園に隣接する旧札幌市長公館跡に建立された彫刻[母子像・ふるさと]です。この作品はハンガリー出身の彫刻家で晩年日本に帰化し栃木県益子町で創作活動を続けていた故ワグナー・ナンドル(和久奈南都留)さんの夫人で札幌出身のちよさんから2011年12月札幌市に寄贈されたものです。
写真(左図)は円山公園の外周から神宮第二鳥居に向けて走行する
様子です。






現在北海道神宮[裏参道]と呼ばれている道路は[南1条通]の事です。この通は市内中心部から南に進み円山公園内を走行しています。下図で赤線が切れている地点が神宮の入り口で[北海道神社庁]の前庭にあたります。かってまだ北1条の表参道が開通していない時代は、参詣客は公園の養樹園の歩道からこの地点まで歩いて神社に出向いていたようです。
[裏参道]の区域についても[表参道]と同じく決まった定義がありませんが、当サイトでは南1条西20丁目(裏参道の標識あり)から公園内の南1条通(北海道神社庁前入り口)を[裏参道]としました。
(註) これらについてのご見解などを[掲示板]←clickまでお寄せ頂ければ幸甚です。
かつては札幌の市街は現在の創成橋の東たもとを基点として、その東側には堀(創成川)と平行して[東創成通]、これと直角に円山方面に向けて[渡島通]が設けられました。渡島通は現在の南1条通で、創成川の開通でこの一帯が商店街として繁栄する礎を作ったものです。現在南1条通は西28丁目までですが、円山町が札幌市と合併する以前は西20丁目が境界線でした。藻岩村時代村役場のあった現在の西24丁目から西20丁目までの道路を建設して札幌市街と繋がることが出来ましたが、出来た道路は真っ直ぐに繋がリませんでした。そのため札幌市電が大正12年に円山線の延伸を決定した際には南1条西17丁目から琴似街道、更に大正13年には琴似街道から円山公園まで延伸されましたが、西20丁目から北に折れ南大通から円山公園へ運行するルートでした。西20丁目から琴似街道に右折するための調整空間として設けられた三角地帯が現在西20丁目にある[円山裏参道公園(右図)]です。

[裏参道と裏参道公園]


[近代的な街並みに変貌を遂げた南1条通(裏参道)]

西20丁目を過ぎると[裏参道]と表示された標識があります。南1条通は円山公園内も走行しており、地元の人はこの道路を[裏参道]と呼んでいるようで、正確にはここから西28丁目までが[裏参道商店街]です。地下鉄東西線が開通し、[西18丁目駅・円山公園駅]が出来て急速に発展を続け大型デベロッパーによる高層マンシヨンンの建設とブテック・グルメなどの相次ぐオープンで町並みは一変しました。

(左図)中央奥に[大倉山ジャンプ競技場]を望む事が出来ます。(右図)裏参道発祥の地(円山町役場跡地)

[裏参道寸描]



(左図)大型商業施設[マルヤマクラス] 地下鉄[円山公園駅]に直結、1F-5Fで1Fは[フードブテックフロア]2Fは[ライフスタイル グッズフロア]3Fは[サービス、ビュテイ、レストランフロア]4・5Fは[フイジカルケアフロア]等。
(右)図[遊歩道]旧界川を埋め立て[遊歩道]として南3条から北1条までを整備。

(左図)六華亭 (右図)リラベル教会

(左図)宮越屋珈琲 (右図) DOZE

[街中の庚申塚]
[庚申塚]は、札幌市内でも東区や南区でも見られますが、円山では明治23年20数名で庚申塚が作られました。明治26年に現在の南2条西24丁目に建てられましたが街の発展のため現在の南2条西26丁目の佐藤宅の敷地内に馬頭観音碑とともに移設されています。

[裏参道]の終点として下左図の神宮入り口を設定しました。ここから右図の第三鳥居の入り口でもあります。